忘れられない食事風景 【りさ 50歳】

今までで一番忘れられない食事としてあげるとすれば、私の場合は1995年1月15日に発生した阪神大震災の中で食べた食事です。その日は明朝に大きな震災が起こり、終日までこの先どうなるかわからない不安の渦の中で、家族や住民と過ごしました。そして次の日になり、私達家族はとにかく動けるうちにと意を決して、田舎のある主人の実家へと夫と子供の3人で避難をすることにしたのです。とにかくそう決めたのなら早く出発しようと、私は慌てて御釜の中に残っているご飯で家族全員のおにぎりをいくつも握りました。昨日からメディアでの情報も少なく、外出するとなるとこの先も食事ができるかさえわからない状態でしたので、とにかくおにぎりだけでも持って行こうと思ったわけです。そうして避難する人々の交通機関でごった返す中、西宮経由で大阪の梅田まで電車で行きました。私達家族がやっとの思いで梅田へと着いた時にまずは違和感をそこで感じたのですが、何故か道行く人々が普段と変わりなくお洒落で普通の感じだったのです。後で分かったのですが震災は神戸や兵庫を主に直撃していて、周辺はそれほどの被害がなかったみたいで、そういう光景だったわけです。私達家族はそのような普段通りでお食事ができるようないつもの梅田の空間の中で、隅のベンチに座っておにぎりを食べました。私達の今まで居た場所だけがひどく異空間だったような そんな感覚におちいりながら、必死に食べたおにぎりは強烈な印象となって私の心の中に今も刻まれています。そういうわけで、食事はそのシチュエーションによっては、一生忘れられないものとなることを私はあの震災の日に体験しました。
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家族で食べた初めての夕飯【りん・20代】

私は訳あって、お母さんと別々に暮らしてました。おばあちゃんと10歳まで生活していて、洋食を食べた事がなく憧れでした。11歳になる頃母に引き取られ新しい家族が出来ました。その日に初めてお母さんの作った夕飯を食べました。新しいお父さんと弟、妹と初めての夕飯。夕飯の内容は30年経った今でもハッキリ覚えています。ひき肉入りオムレツとポテトサラダ入り野菜サラダとクリームシチュー。今までおばあちゃんと2人で茶色い食卓だった私にはお姫様になった様なカラフルな食卓でした。スプーンにフォークとか煮物や味噌汁しか食べた事がない私には憧れでした。オムレツにフォークをさした瞬間に溢れる肉汁には感動でした。オムレツって卵焼きに中身が入ってるんだというトコからの感動でしたね。サラダも普段はおひたしで醤油しかかけた事がなく、ちょっと酸っぱいフレンチドレッシングをかけて生野菜。野菜を生で食べるとか初めてだったので、果物みたいなシャキシャキ食感が美味しかった。そして、給食しか食べた事がない大好きなクリームシチューはお母さんでも給食作れるんだって嬉しくなりました(笑)私は牛乳が大嫌いで、毎日持ち帰り、少し貯まる度にクリームシチューをしてくれた。今でもお母さんの作った料理が1番好きです。ダイエットエステのランキングはこちら