ばあちゃんの塩むすび  【ぺえ38歳】

今はなき、ばあちゃんの味。
小学生の頃、終末になると決まって、母の実家であるばあちゃんの家に泊まりにいっていました。私の兄と母の姉の子供達が、揃うとよりにぎやかでした。1つ上のいとことは、姉妹のように仲が良く、ばあちゃんの家に泊まっては一緒にお風呂に入り、寝床で遅くまでお喋りしていました。
ばあちゃんの家は、農家で米や野菜、果物を作っており収穫を手伝うのも恒例の行事でした。私は、食が細かった為、ごはんを残すことが多かったのですが、ばあちゃんが作る塩むすびだけは特別でした。何の変てつもない、塩味のおにぎりなのですが、とても大きいのです。顔が半分隠れてしまいそうな位です。焙った海苔を1枚まいて、ほんのり塩味で、食欲が増してきます。塩むすびだけは、ペロッとたいらげました。小学校高学年で、遠方に引っ越した後も夏休みや冬休みには泊まりにいき、塩むすびを作ってもらいました。そんなばあちゃんも持病が悪化し、認知症も発症して、以前のばあちゃんのようではなくなってしました。私が社会人になると仕事が忙しく、ばあちゃんに会うことも少なくなった頃、ばあちゃんは他界してしまいました。
お店では、色々な具材のおにぎりが売られていますが、今でも私は断然、おおきな塩むすびが忘れられません。https://datumou-site.com/

レジャーの後の、至福のどか飯 【のどか・30代】

これまでに生きてきて、本当に心の底から美味しくて幸せを感じた食事は、三人前は軽くありそうな、大ボリュームのオムカレーライスです。

20代後半の時に、独身女子4人で夏の思い出を作ろうと、水上に行きました。
利根川の滝を歩いて泳いで下る、キャニオニングというスポーツに参加するのが、目的でした。

普段まったくといっていい程、スポーツとは無縁だったのですが、雑誌の紹介ページのマイナスイオンを浴びながらという、言葉に引かれて、予約をしてしまいました。

実際思っていた以上にハードで、とっても楽しくはあったのですが、くたくたに疲れきってしまいました。

そんな帰り道に、元々ガイドブックで調べをつけていた、おしゃれなレストランがお休みで、さまよって見つけたのが、山道にポツンとある、定食屋でした。

すでに14時を回っていて、朝ごはんを7時に食べてから、何も口にしていなく、みんな空腹で、口数もかなり少なくなっていました。

そこは、おばあちゃん二人が営んでいて、運送業のドライバーさんを相手にしているような、お店でした。

メニューも、ラーメン等の中華からスパゲッティまで、何でもありな感じでした。

私は、そこでオムカレーライスを注文しました。

これでやっと食事にありつける。
喜んだのもつかの間、そこからが長かったです。
他にお客さんは居なかったのに、40分は待たされたでしょうか。

その間、何度お腹すいたと、口にしたかわかりません。
恐らく、1日でお腹すいたという言葉を使った、最高記録だったはずです。

もしかすると、ランチタイムも過ぎた時間でしたので、ご飯を炊くところから、始めていたのかもしれません。
とにかく、やっと出てきたオムカレーライス
は、どか飯という言葉がピッタリな位、特盛サイズに盛られていました。

みんなサイズにおののきつつも、無我夢中で食べ始めました。

その味の絶品だったこと。
今までに、そんなに飢えて、そんなに沢山のご飯を食べたことはないでしょう。

今でも忘れられない、大切な一皿の食事になりました。
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富士山頂で食べたラーメンは忘れられない【my・43歳】

自分が30代前半のころ、「一生に一度は富士山に登ってみたい」とう夢がありました。主人も富士山に登ってみたかったらしく、「今年の夏、登っちゃう?」くらいの軽いノリで登山を決意しました。

2人とも日ごろ運動をしているわけでもなく、山登りやウォーキングが趣味でもなく、人生初の大イベントのためにわざわざウェアから登山靴まで買いそろえるレベルでした。

実際、富士登山はそんなに甘いものではありませんでした。自分が初心者であると心得ていたので、ガイド付きの登山ツアーに参加し、ガイドさんの指導のもとで、ペース配分もお任せでした。七合目あたりから笑えない感じにきつくなり、夜の9時に九合目の宿で夕食のカレーライスと仮眠をとって、夜中に再出発しました。

その宿で、私たちは準備されたカレーライスを食べましたが、ほかの登山客がカップラーメンを食べているのをみかけたのです。カレーライスよりはラーメンが良かったなぁと思いながら、カレーを食べて仮眠をとりました。

頂上で日の出を見るぞという目標をもって、九合目をいよいよ出発!しかし、外は寒いし真っ暗だし、空気は薄いし、体は疲れきって一歩踏み出すのが精いっぱいで、言葉であらわせないくらいのつらさでした。一歩だすのが、本当に必死で、頭の中で「日の出を見たい・・・ラーメンが食べたい」と九合目で見たラーメンが忘れられず、必死の思いで山頂までたどりつきました。

山頂したら速攻でラーメンを食べにいきました(笑)山頂なので値段は高かったですが、それ以上に熱くておいしいラーメンを口にして、本当に幸せに感じたことを覚えています。それが、「自分の人生の中で最も忘れられないラーメン」だったことは間違いありません。
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私の中で思い出の味について(ははな40代)

ミシュランの星のついたレストランなどで仕事柄食事をする機会も多く、美味しいものをたくさん食べていました。イタリアンにフレンチ、和食、中華など世界各国の料理も食べました。
そんな中で私が忘れられない美味しい味といったら、ミシュランのレストランではなく、私の母親のカニクリームコロッケなんです。
洋食屋で食べたカニクリームコロッケよりも母親のカニクリームコロッケが好きだった私は、いつも母親にねだり、小学校高学年になると一緒に作るようになり、作り方は覚えました。しかし、結婚して、子供ができ、1人で作ってみると母親の味にはならないのです。何かがいつも足りないなと感じるのです。
ホワイトクリームを作り、玉ねぎを炒めたり、隠し味で入れるゆで卵を作ったりととても手間のかかる料理です。そんな手間がかかる料理をいつもわがまま言って作ってもらって、大人になって、家庭を持って初めて母親のすごさを知りました。
子育てが忙しく、ついつい、簡単な料理を作ってしまいがちな私ですが、母親との思い出のカニクリームコロッケを思い出すと、子供に頑張って美味しいものを作らないとと思うのです。そして、私も子供からレストランのものより美味しい母親の料理と言われるように頑張りたいです。詳しい予約方法についてはこちら

祖父の100歳記念の食事会【いっけ・30代】

私の祖父は2016年に100歳を迎えました。その記念として、親戚一同集まって食事会が開かれることになりました。久しぶりに訪れる故郷の変化を懐かしみながら向かった旅館は、こちらも故郷で有名な割に泊まったことのなかった湯の川温泉。温泉、そして大広間で特別な会食が用意されているということで、非常に楽しみにしながら向かいました。
旅館はそこまで大きくないものの小奇麗なところで、出された食事も函館ならではの海の幸の新鮮さや、美味しいお肉、更にデザートにはお祝いのケーキまで登場しました!祖父の100歳を祝うための心づくしを食事からも感じました。
食事もとても美味しかったのですが、祖父を祝おうと集まった親戚とのひと時がとても楽しく、また旅館の方からも大変素敵なおもてなしをいただき、忘れられない食事となりました。
面白かったのは部屋に「100歳を祝う会」と書いていたせいか、その食事中に別の団体のお客様もお祝いにいらしてくれたことです。食事を進めながら、祖父と握手する列が出来ている姿はさながらアイドルの握手会でした。非常に和やかな食事会で、祖父も楽しそうに、しかも元気に全て食べたというのがとても嬉しく思いました。これからも元気に長生きして欲しいです。シースリー割引を使って全身脱毛を予約したい人はこちら

はじめてのアワビ 【マドレーヌ44歳】

21歳の時に友達の元彼がホテルマンになったので、友達の元彼が友達にホテルの食事券をプレゼントしました。横浜にある有名なホテルで21歳の私達には正直まだ早い感じでしたが、せっかくの機会だったので可愛いワンピースを着て横浜まで行きました。
ちゃっかりと私もお呼ばれされました。友達の元彼は、私もクラスメートだったので、久しぶりに会えるのが嬉しかったです。
食事のメニューは、和風テイストのフレンチでした。ホテルマンになった友達が、おしゃれな制服に身を包んで、挨拶がてらにシャンパンを注ぎに来てくれました。部活に熱心でボウズだった友達が何だか立派になっちゃって嬉しいような自分も立派になれているのかなと複雑な気持ちで乾杯しました。
冷製スープとサラダ、メインは子羊とアワビ、デザートは、メロンとアイスでした。
私はアワビを食べた事がなかったのでこんなに美味しいものがあったのかと驚きました。
友達にご馳走してもらったので余計に美味しく感じました。
私は付き添いですが、元彼女にお食事券を贈るなんてやり直したい気満々だと感じたのですが、彼女は、そういう人じゃないんだよ、みんなに優しい人なんだよと言ってました。
彼女にとって後で逆に高く付くハメになる食事にならないといいなと思いながら食べました。
実際は、何もなく懐深い元彼でした。
あんなに美味しいアワビの味を教えてくれて感謝です。お試し体験の申し込みはこちら

食べ歩き【hu・20代】

私は食べ歩きが大好きで休みの日は新しいお店を発掘しています。
私が今まで食べた中で一番美味しかったお店は、極みやさんの焼肉です。このお店は伊万里牛を一頭買いするので、貴重な部位を安く食べられ、そこで初めて食べたザブトンとブーメランという部位が大好きになりよく食べに行きました。人気の部位なのでなくなったら食べられないのですが、新鮮なお肉しか出てこないので安心して食べられます。また店員さんも皆さんいい方ばかりで、楽しいです。毎日じゃんけんで勝つとその日のオススメをタダで食べられるサービスも嬉しいです。
あともう一軒、オススメのお店は、ひょうたんという串揚げやさんです。
ここの特徴は串揚げをパン粉で揚げるのではなく、米粉で揚げているので、胃もたれする事もなく体に良い串揚げを食べられる事です。何本でもいけちゃいます。メニューもその日によって違いその日の新鮮な野菜などを厳選して目の前で揚げ立てをだしてくれます。いつもコースで頼みますが、ついつい食べ過ぎて追加してしまいます。メニューも季節で変わるし毎回飽きないし、とっても美味しいのでオススメです。
食べ歩きは新しいお店を発見できるし、そこで出会った美味しいモノをその場の雰囲気で食べられるのが一番美味しいから楽しいです。http://www.xn--b9jxa1g3a5ke8if5ig3975qbdoc.com/

忘れられない食事風景 【りさ 50歳】

今までで一番忘れられない食事としてあげるとすれば、私の場合は1995年1月15日に発生した阪神大震災の中で食べた食事です。その日は明朝に大きな震災が起こり、終日までこの先どうなるかわからない不安の渦の中で、家族や住民と過ごしました。そして次の日になり、私達家族はとにかく動けるうちにと意を決して、田舎のある主人の実家へと夫と子供の3人で避難をすることにしたのです。とにかくそう決めたのなら早く出発しようと、私は慌てて御釜の中に残っているご飯で家族全員のおにぎりをいくつも握りました。昨日からメディアでの情報も少なく、外出するとなるとこの先も食事ができるかさえわからない状態でしたので、とにかくおにぎりだけでも持って行こうと思ったわけです。そうして避難する人々の交通機関でごった返す中、西宮経由で大阪の梅田まで電車で行きました。私達家族がやっとの思いで梅田へと着いた時にまずは違和感をそこで感じたのですが、何故か道行く人々が普段と変わりなくお洒落で普通の感じだったのです。後で分かったのですが震災は神戸や兵庫を主に直撃していて、周辺はそれほどの被害がなかったみたいで、そういう光景だったわけです。私達家族はそのような普段通りでお食事ができるようないつもの梅田の空間の中で、隅のベンチに座っておにぎりを食べました。私達の今まで居た場所だけがひどく異空間だったような そんな感覚におちいりながら、必死に食べたおにぎりは強烈な印象となって私の心の中に今も刻まれています。そういうわけで、食事はそのシチュエーションによっては、一生忘れられないものとなることを私はあの震災の日に体験しました。
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家族で食べた初めての夕飯【りん・20代】

私は訳あって、お母さんと別々に暮らしてました。おばあちゃんと10歳まで生活していて、洋食を食べた事がなく憧れでした。11歳になる頃母に引き取られ新しい家族が出来ました。その日に初めてお母さんの作った夕飯を食べました。新しいお父さんと弟、妹と初めての夕飯。夕飯の内容は30年経った今でもハッキリ覚えています。ひき肉入りオムレツとポテトサラダ入り野菜サラダとクリームシチュー。今までおばあちゃんと2人で茶色い食卓だった私にはお姫様になった様なカラフルな食卓でした。スプーンにフォークとか煮物や味噌汁しか食べた事がない私には憧れでした。オムレツにフォークをさした瞬間に溢れる肉汁には感動でした。オムレツって卵焼きに中身が入ってるんだというトコからの感動でしたね。サラダも普段はおひたしで醤油しかかけた事がなく、ちょっと酸っぱいフレンチドレッシングをかけて生野菜。野菜を生で食べるとか初めてだったので、果物みたいなシャキシャキ食感が美味しかった。そして、給食しか食べた事がない大好きなクリームシチューはお母さんでも給食作れるんだって嬉しくなりました(笑)私は牛乳が大嫌いで、毎日持ち帰り、少し貯まる度にクリームシチューをしてくれた。今でもお母さんの作った料理が1番好きです。ダイエットエステのランキングはこちら